この『ペルシアの絨毯工房』は、当初「ペルシア絨毯工房のカナ表記」というテーマで着手した研究レポートで、そもそも仕事上、手織り絨毯の展覧会やさまざまな催事企画を推し進めるなか遭遇したペルシア絨毯の工房名や産地名表記の奇怪さに頭を抱えたことに端を発する。
皆さん、自分が発音しやすいように勝手なアレンジを加える、音は簡略化するなど、てんでバラバラ。他国語であるから正確な表記に限界はあるものの、常軌を逸したものも多々あった。
かといって正確を期すと読みづらく親近感が薄れ、一般消費者からは敬遠されるというジレンマを感じる側面も間々あり、いずれにしても不完全燃焼で燻っていた課題である。そうした意味では、研究レポートという多少なりとも学際的な立場で取り組んだため、その辺りのことは気兼ねせず、筋を通すことができた。
おこがましいところはあるにせよ、まあ、誰も手をつけようとしないことでもあるし、一応のスタンダードがあってもよいと考え、これまで蓄積してきた資料の整理作業に取り掛かった。
このレポートの骨子は、工房の歴史や内容は別として、その「名」という固有名詞に関しては、実にペルシア語の辞書だけを頼りに独善的に取りまとめたものである。
正しい工房名あるいは姓名の表記は、意味の通じる言葉を基準として正確に表記してみる、という一点のみに立脚したものである。それゆえ各所に深慮に欠けた不備があるやも知れず、最初にお断り申しあげておくことにする。
この本に掲載した工房は、伝説の工房など一部を除き、少なくともその絨毯が日本にもたらされた工房にほぼ限られている。いわゆる日本人向けに流通に乗ったものが中心となっている。
だからイランの絨毯工房がすべて網羅されているわけではない。良質の絨毯をつくる工房でも寡作であったり、テイストが違ったりして、日本の流通に乗らなかったものは当然抜け落ちていることとなる。
しかも業務上当方が扱うこととなった絨毯に限られているので、作品の例としては決して豊富とはいえないかも知れない。
ただ、名の知れた工房は、作例はなくとも掲載したつもりである。また、このレポートに写真掲載したものは基本的にサインが織り込まれているものに限られている。故に良品であっても、サインのないもの、工房のわからないものは掲載からは外れている。もっともサインに頼るのも考えもので、無節操にサインを織り込む専門業者もあり、二級品でありながらゴム・エラミーのサインが施されているマラーゲ産の絨毯を見たことも度々ある。また工房作品でも、売りやすいようにと後からサインを入れることもよくあるようだ。
今回、イランの絨毯工房を整理してみると、肯綮に当たらずとも工房の歴史として次の3つのステージがイメージできた。
まず第1ステージは、伝説の工房時代。19世紀末からガージャール朝の終焉までの、絨毯復興期とも呼ばれるペルシア絨毯ルネッサンスの時代である。一般的な資料があまりないので、工房の詳細は伝聞にかき消されているようである。あらゆる場面においてヨーロッパの大きな影響を受けた時代でもある。
第2ステージは、栄光の工房時代。パハラヴィー朝の時代である。いわゆるパハラヴィー・ブームに乗って、マシュハド、ナーイーン、ゴムなどの都市工房が台頭し、芸術の街として息を吹き返したエスファハーンなど工房の努力が多くの佳品を生みだした。第1次世界大戦で疲弊したヨーロッパに代わりアメリカの影響が台頭した時期と思われる。
第3ステージは、現代の工房時代である。イラン・イスラーム革命後で、アメリカとは決定的に敵対することとなり、イラン・イラク戦争、そしてアメリカの経済封鎖があり、今日に続く。工房絨毯においては草木染めが再び主流となり、織り密度を競う時代でもあった。ヨーロッパ諸国が主要取引先である。このステージで日本も消費国の仲間入りをすることとなる。
そしてもうすぐ第4ステージへと突入する。果たしてどのような時代となるのか。今がまたイランにおける絨毯工房の世代交代の時期かとも思われる。例えばセイラフィヤーン一族は初代の子から孫の代への世代交代の時代である。
高価なペルシア絨毯ではあるが、これまでの需給のヴァランスも紆余曲折はあったにせよイランという国の人件費の安さに支えられてきたといっても過言ではない。日本で手織りの産業がなかなか成立しにくいように、今後イランも例外ではなくなるかもしれない。
日本においてバブル期には数千万円という価額のついた工房絨毯もあった。工房商品がブランド化して実質以上の価値を生んだ場合もあろう。今、日本で高価なペルシア絨毯はそう易々と売れる状況ではないし、イランにおいても、生産が低迷しつつある。今後、世界経済が減速する中で工房が置かれる立場も今まで以上に厳しいものになっていくと思われる。
ペルシア絨毯の未来を憂い、この商売を継がせたくないと苦言を漏らす工房主宰者もいると聞く。伝統的な美術工芸品としてのペルシア絨毯は、どのような形でその歴史を継承することができるのか、これはイランだけの問題ではなく、各国の伝統芸術、伝統産業が抱えている問題でもある。
このレポートを整理しようとしたのも、四半世紀以上にわたり仕事柄ペルシア絨毯に接してきたことと、国立民族学博物館の「絨毯—シルクロードの華」をはじめとする各種展覧会の展示企画や図録『シルクロード絹の絨毯』、『ペルシア絨毯の世界』など出版のお手伝いをさせていただく中で、国立民族学博物館名誉教授の杉村棟先生にさまざまなご教示を賜ったことが大きく影響している。
また、今回この本を上梓するにあたり、いろいろな方の好意に甘えさせていただいた。絨毯の写真資料及び各種データは、フジライトカーペット株式会社、株式会社絨毯ギャラリー及びその流通関係先からの資料提供であり、この本の仕上げを前にして最終確認のため、テヘラーンで開催された第19回手織り絨毯国際展示会での取材の便宜を図っていただいたのみならず、出版のバックアップをしてくださった絨毯ギャラリーの大熊克巳氏と久美子さん、ご夫妻、またイランで終始取材に付き添ってくださったゾッラーンヴァーリー社のゴラーム=レザー・ゾッラーンヴァーリー氏、ハミード・ゾッラーンヴァーリー氏、現地通訳のダーラービー氏、日本でペルシア語をチェックしてくださったテクスインテのアハマド・モアーフィー氏、千代田トレーディングのアリー・ソレイマーニーイェ氏、ダラコレクションのダラ・ベヘラヴェッシュ氏など、いろいろとお世話になり、そのご厚志に感謝申しあげる次第である。
プロダクトプランニングセンターK&M
河崎 憲一